姪に「(この生活を)どうしたらいいでせう」といはれるに對して伯父なる大學教授が、「私には分らない」とばかり答へるチエホフの作品「退屈な話」を持出して、シェストフは此の伯父は又チエホフ自身であるといふ。だが私の思ふには、「人生如何になすべきや」なぞといふ命題に對する場合チエホフはその命題を嗤ひはしないがその命題の成立過程を嗤つてゐるのである。つまり「私には分らない」と答へることにするので實を云へば「私には分らないでいいと分つてゐる」のである。「地球の中心は火であるかも知れぬ、で、あなたは、やけどしないやうにと今からその用心をするのですか?アハハ」といふことなのである。つまり、言葉でなく言葉の現はす實質の中にのみチエホフの關心はあつたのである。つまり影像なしに何事もチエホフの心を占めはしなかつたのである。こんな場合人は、主義だの就中(なかんづく)モットーなぞを絶えず振廻してゐる多くの人間の中で、まるで「虚無な男」とも名付くべき人になつてゐるより他仕方もないことでありはしまいか。そこでシェストフがチエホフを「虚無より創造」した人であると云つたのは至當である。とまれ「棒は箸よりも強いのである」なぞと語ることをしないで「これは強い」と思ひ乍ら棒を有してゐる人間があつたら、それはあの「神聖な獸」と云はれもしよう樣な存在ではあるまいか。
ではその「神聖な獸」たる人は何も創造出來ないであらうか。だが「棒は箸より強い」と語る人よりも「これは強い」と思ひ乍ら強い棒を持つてゐる人は棒に關してよりよく知つてゐはしまいか。
だが一體有史以來の文化は「語る」に落ち過ぎた文化ではなかつたか? 「怡(たの)しむ」つまり「生きる」文化ではなかつたのではあるまいか。人間は自分の作つたものに逆に用ゐられる傾きがあるではないか。――そのやうな文化が「文化」の概念である限り、神聖獸的存在は何も創造出來ないと一應考へられるのも無理はない。
だがもしそのやうな文化を茲(ここ)に嗤ふことの出來る男があつたとしたら!
恐らくチエホフのやうに含羞みながら、含羞むことによつてそのやうな文化の中を通過しながら、「生きる文化」のものを作り上げるのではあるまいか。即ち先づ何にもまして自然的與件たる感性自體を呟かしめることによつて豐富な世界を自己の裡に蓄へるのではあるまいか。
もしさうなれば、「語る文化」側の理想も思想も、それらが必要であるもないも、それらが現象としてしか存在せぬこととなるかも知れぬ。
(1934年日記 「文壇に與ふる心願の書」より)