突然ですが、どうしても書きたくなったので、書きます。
中原中也は天才です。心から尊敬しています。
あれほどこの世界に存在する物事を正しく認識できていた人は人類の歴史の中でもほとんどいなかったのではないでしょうか。
中原中也といえば「汚れつちまつた悲しみに」に代表されるデカダン的な詩が有名ですが、日記や論文、手紙がそれに勝るとも劣らずすばらしいのです。まさに戦前日本に生まれ落ちた早熟の天才そのものでした。
私は生活(對人)の中では、常に考へてゐるのだ。考へごとがその時は本位であるから、私は罪なき罪を犯す。(それが罪であるわけは普通誰でも生活の中では行為してゐるからだ。)(考へごとは道徳圏外だから)
そして私の行為は、唯に詩作だけなのだ。多いか少いか詩人(魂の労働者)はさうなのだが、私のはそれが文字通りで、滑稽に見える程だ。
―日記 (1927.11.13)
で結局僕は僕の心の蟲をいつくしむんだ。いつくしむよりほかどうしやうもあるもんか。ゆつくりいつくしめば、いつくしんだだけ、人樣に對して反動を廻すとかなんとか、さういふ自他のけじめを掻き毟つたやうな行為は少なくなるんだし、自分としてもコクのある氣分でゐられるんだ。
なまなかそれをいつかどな理由をつけて、その理由への對策を講じてみたつて、暗い女が明るくならうとしてアバズレになるみたいなもんだ。
―「私の事」 (1934.1.26)
語れるものは、すべて事物の重要な部分ではない。
モディフィケーションは、皮膚から一歩も中に入ることはない。
而も、人類の關心は、事物の重要な部分といふよりも寧ろモディフィケーションの限界内に於てなされてゐる。
自然科學が容易に勝利するのは、科學にはモディフィケーションを容れる餘地が、あつても殆どないくらゐなものだからだ。精神科學がもし、事物の重要な部分、謂はば生存態にばかり關心したとしたら、どんなに幸福を招來するか知れはしない。
―日記 (1934年)
etc, etc・・・
生を愛し、「大事な一事」を幼時から知っていた中也さんは、常に生活圏と闘い、夢を見<考え>つづけ、一生をかけて大切なことを書きつけておいてくれたのです。